道じゅねーの時期になると、いつも新聞のとあるエッセイを読み返します。
小説家又吉栄喜さんの書かれた文章です。
道じゅねーでの、亡くなった人の思いや行動について推量しています。
2009年9月20日の沖縄タイムスに掲載されています。
関心のある方は図書館などでご覧になると良いと思います。
ほんの一部ですが、引用します。
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ウンケーの夜にもエイサー隊は来たのだろうか。
亡くなった人たちは太鼓の音をたよりに生まれジマに降り立ち、
おのおのの家に向かうと私たちは噂しあっていた。
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私たちは「エイサーには亡くなった人が一人必ず参加している」と信じていた。
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どこがどうというわけではないが、神々しい感じがした。
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小さい集落の中を、何かいとおしむように存分に歩き回った。
先祖を深く敬い、供養し、喜ばせながら、自分たちも喜んでいた。
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ウークイの夜、エイサーの太鼓の音は耳をつんざくばかりに大きく響いた。
この世の人があの世に帰ろうとしない人を急かしているというが、
この世に未練を残さないように自分自身を叱りとばしながら
亡くなった人が打ち鳴らしているのではないのだろうか。
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エイサー隊は二日前に現れた暗い路地に押し合い圧し合い
するように消えていった。
昼間私が頻繁に通うこの路地は、年に一度だけ、
はるかなるあの世に延びると思った。
--------------------------------------------------(引用おわり)
そういえば道じゅねー追っかけしているとき、
亡き父を身近に感じてしまいます。
※再掲させて頂きます。